ねェちょっとと肘で突付かれて、崇志が伊織に耳を寄せる。

「何、どうしたん?ヒメ」

「あのアホみたいな喋り方止めてよ、それより、何なのこれ、どういうこと?」

「オレッちに聞いても仕方ないでしょ、上の決定なんだから」

「でも、リカちゃんからは何も聞かされてないんだよ」

「さてねえ、学長も何を考えているのやら」

他に、先頭を薙が、しんがりに凛が付き、その後ろに十数人ほどの月詠学院生達が続いている。

学院からペンタファングに出動命令が降りて、呉に送り出されて向かった先は出雲。

そこで、彼らと対面した時、薙達はひどく面食らってしまった。

支援部隊が付くとは一言も聞かされていないし、第一ペンタファングは特殊部隊であり、彼ら以外に討魔に関わっている生徒はいないはずだ。

能力開発はされていても、それはあくまで優秀な人材を育成するという名目の上で行っていることであり、験力の発露や、鎮守人育成といった目的とは全く異なった趣旨の活動であると聞かされている。

それなのに、一般の生徒達にこんな格好をさせて、ペンタファングの支援に付かせるなど、森学院長は何を考えているのだろう。

彼らは厚手のローブを纏い、フードを目深に被って、その表情はようとして知れない。

何事だと尋ねた薙に、彼らの一人が書状を差し出して、ただ一言「勅命です」と答えただけだった。

「まあ、気は進まないけどね、命令だったら仕方ないだろ」

後方をちらりと振り返って崇志が呟く。

「いざとなったら奴らを逃がして、俺達だけで戦えば済むことさ」

「でも、それってやっぱちょっと危ないよねえ」

「まあ、足手まといを寄こすわけも無いだろうから、その辺りはノープロブレムなんじゃないの?学長もそこまで無能じゃないだろ」

「うっわタカ、厳しィー」

「おいおい、ヒメに言われたく無いぜ?」

薙が振り返ってうるさいぞと二人を注意する。

崇志と伊織は顔を見合わせて、はァいと少し距離を置いて歩き始めた。

薙は、再び正面を向いて歩を進めていく。

指令では、この際奥にある気脈のポイントを制して、天照館への最大の力の流入元を断てということであった。

天照館。

その名前は胸の奥に苦い感情を呼び起こす。

豊が去ってからというもの、苛立ちばかりが募るようだった。

それは、何故なのか。

薙にも理由はわからない。感情は随分昔に捨ててしまったから、知る術すらなかった。

ただ、彼のいない日々はどこか虚ろで、大きな穴が開いてしまったかのようで、実際仕事以外でぼんやりしている事が多くなったように思う。

こんな事ではいけないと自身を戒めるたび、その穴はどんどん広がっていくようで、埋めがたい喪失感になす術も無い。

学内のどこにもあの制服姿が見つけられなくて、思い出すことといえば、最後に見たあの苦しげな表情だけだ。

何がそんなに辛かったというのだろう。

彼は、結局は天照館の人間だった。

それが証拠にあっさりペンタファングを抜けて出て行ってしまったし、最後には僕ではなく、あの男―――九条綾人を選んだのだから。

薙は微かに溜息を漏らしていた。

(どうかしている)

本当に、今の自分は、らしくない。

あの日の彼の面影を、まだこんなに引きずっている。こんなに非生産的な自分を薙は知らない。

「薙?」

呼ぶ声ではっと我に返る。

振り返ると、崇志が怪訝そうにこちらを見ていた。

「どうした、なんか暗いぜ」

「いや、大事無い」

「そうか?んまあ、お前がそう言うなら俺もそれでいいけど」

ちょ、ちょっとアンタたちなんなのよと急に伊織が声を上げた。

振り返ると、彼女と凛が駆け寄ってくる。

「なんだ、どうしたんだよヒメ、リン」

「あたし達が聞きたいって!何なのこいつら、急にこんな」

後方について歩いていた月詠生の一団が、見れば、各々手に武器を握ってその場に身構えていた。

「おいおい、どーなってんの?」

崇志がゴクリと喉を鳴らす。

薙も、瞬時にレイピアの柄を握り締めていた。

彼らの様子は尋常で無い。

フードの下の瞳は虚ろによどみ、全身からあからさまな殺気が立ち上っている。

じりり、集団が前ににじり出てきた。

「ちょっとちょっと、あんた達、どうしちゃったわけ?」

伊織がリボンを構えながら僅かに後退りをした。

「まさか瘴気にやられちゃったの?しっかりしてよ!」

「伊織、彼らの様子、そういった類の原因ではないようだぞ」

「じゃあ何でいきなり構えてんのよ!オイ、てめえら正気に戻りやがれ!」

凛も、帯刀を抜くか戸惑って、柄に手をかけたまま彼らの出方を窺っている。

「まいったね、こりゃ」

構えたキューの先を下に向けたまま、崇志が薙をちらりと見た。

「どうすんの、やっちゃうの?」

薙は答えない。

レイピアはまだ鞘の中に納まったままだった。

―――まずい。

この状況は非常によろしくない。

いくら敵対しているとはいえ、彼らは一般の生徒達だ。特殊退魔班規則では、非戦闘員及び民間人を戦闘に巻き込む事を禁止している。

けれど、それを抜きにしても、同胞を傷つけるというのは自身の趣味では無い。

それは多分他のメンバーもそうだろう。

一歩前に出られては、一歩下がり、緊迫した空気の中、集団の先頭が突然奇声を上げた。

「なっ」

伊織が小さく声を洩らす。

次の瞬間、彼らはいっせいに踊りかかってきた。

「ちょ、ちょっと、タンマ!やめなさいよ!」

伊織がリボンを振るって必死に応戦している。

凛も、抜刀した刀身をただ防御のためだけに使用していた。

「ベイビー、可愛いお顔にこんなもんは似合わないぜッ」

崇志がキューで攻撃を防いた。その隙をついて、影に隠れていたもう一人が彼の脇腹を鎌でなぎ払う。

「ぐあッ」

「ラギー!」

キャアと悲鳴を上げて、伊織が弾き飛ばされた。

倒れた彼女に数人の生徒達が武器を構えて飛び掛っていく。

寸での所で間に割って入った凛が、逆に彼らを弾いて伊織を救出した。

「大丈夫か伊織、グッ」

直後、第二波の生徒の振るった棒が、彼女の肩を激しく殴打した。

「リンちゃん!」

リボンが武器を握る腕を叩き、伊織は凛の腕を引いて後方へと逃げる。

薙は、複数の生徒達に囲まれて、苦戦を強いられていた。

打ち下ろされる棒をかわし、切りつける刃を防いで、その合間にも次々と繰り出される殴打や蹴撃に、少しずつ傷が増えていく。

ペンタファング一の戦闘能力を誇る彼でも、防御一辺倒の戦いはさすがに厳しいものがあった。

防ぐ傍から攻撃されて、息をつく暇も無い。

「くっ」

魂神を呼ぼうとしてためらい、また呼ぼうとする。そんな葛藤が続いていた。

彼らは特異能力も持たない、普通の人間だ。そして何より月詠学院の生徒だ。

攻撃していいものかという思いと、やらなければこちらがやられてしまうという焦燥感がせめぎあい、それが彼の剣先を鈍らせる。

一瞬、生まれた隙をついて背後の生徒が棒で薙を突き倒した。

前のめりになった脇腹を再び棒で思い切り殴られる。

そのまま転倒して、集団の中央から転がり出ると、向こうで崇志や伊織、凛も、満身創痍の状態で生徒達の猛攻から逃げ惑っていた。

生徒の一人を縛っていた伊織のリボンを切って、他の生徒が彼女に飛び掛る。

助けに向かおうとした凛にも、複数の生徒達が武器を振り上げて殴りかかっていった。

蹴り飛ばされた崇志を、背後で待ち構えていた生徒が切りつけて、更に他の生徒たちが取り囲む。

薙の上に、黒い影がよぎった。

見上げると、鎌の切先が落ちてくる。

―――間に合わない。

次に訪れるだろう痛覚に、グッと下腹に力を込めて構えた瞬間、刃の先があと数センチほどで薙の眉間を貫く、その時。

ぴたり。

生徒の動きが止まった。

途端、ドッと冷や汗が噴出して、再び動き出す前に薙はすぐさま横に逃れる。

起き上がって油断なく周囲を見渡すと、他の生徒達も同じように、次の動作に移ろうとする姿のまま止まっていた。

メンバー達が薙の元へ駆け寄ってくる。

誰も出血し、制服は敗れ、酷い姿だった。伊織は片足を引きずっている。崇志も、片方の腕が上がらなくなっているようだった。

「おい、どうなってんだ?」

「わかんない、なんか急に動かなくなっちゃったよ、どうして」

「それより薙、京羅樹、怪我は」

「大事無い」

「嘘こけ、お前だって傷だらけだろうが、オレッちもこれ以上は無理だし、まいったな」

凛が伊織に肩を貸している。

これからどうしたものかと再び周囲を見渡していると、生徒達がいっせいにビクリと身体を震わせた。

「えっ」

崇志が目を剥く。

月詠生達は、武器を引きずるようにして一箇所に集合を始めた。

全員で固まって、こちらに対峙すると、再びゆらりと身構えた。

「まずい、あいつら俺らを一気に殺るつもりだぜ!」

必死にキューを構える崇志の傍で、伊織を支えたまま凛も剣を構える。伊織も、唇を噛み締めて、千切れたリボンの柄を握り締めていた。

薙は彼らの前に進み出ると、レイピアを構えて生徒達を睨みつけた。

ここで決めなければ。

我々がこのまま倒れるか、彼らを―――非力とわかっていても、魂神を呼んで殲滅するか。

殺すか、殺されるか、どちらかしかない。

どちらを選んでも後悔するだろう。

けれど。

薙はレイピアを強く握り締めた。

―――咎なら、僕一人が受けよう。他のメンバーはもう戦えない、それなら、仮にもリーダーを任されているこの僕が。

瞬間的に以前の記憶が蘇ってきた。

それは数ヶ月前の討魔活動で。

倒し損ねた天魔の爪先から、庇ってくれた豊の姿。

(今度は始末書と強化プログラムだけじゃ、済まないだろうな)

フッと冷笑が漏れていた。

所詮、使い捨てられる身なら、最後まで抗ってやる。こんな命でも簡単に殺されてなるものか。

薙が覚悟を決めるのと、生徒達が走り出すのは殆ど同時だった。

レイピアを構えて魂神を呼び出す。

背後で誰かが薙を呼んでいた。

彼の中で渦を巻く、験力が異形のものに姿を変えて発露しようとしている。

その時。

「っつ?!」

突然、力の波が空間全体を大きく薙いでいた。

吹き荒れる嵐のような勢いに、生徒達がバラバラと倒れていく。

薙も、レイピアを掴んだ腕で必死に風圧に耐えていた。背後で他のメンバーも同じように両足を踏ん張っている。

一陣の風は、洞窟の中でオンオンと反響して、そのまま壁面を震わせながら抜けて行った。

顔を上げた薙は不意に呟いていた。

「―――秋津?」

今の気配、間違えるはずが無い。

あの験力の主を自分は知っている。

呆然としていると、目の前で倒れ伏していた生徒達が呻き声を洩らして身じろぎをしていた。

慌てて身構える一同の前で、ヨロヨロと起き上がった誰もが呆然と周囲を見回している。

「あ、れ、ここ、どこ?」

「俺、何でこんなところに」

「これなに?どうして私こんなもの持ってるの?それにこの格好って」

「や、やだ!血が、服に血が付いてる!何で、これって誰の」

慎重に様子を伺って、薙は、レイピアを鞘に戻していた。

「どうなってんの、これ」

崇志が唖然と呟いている。伊織が、正気に戻ったんだと小さく声を上げた。

戸惑っていた彼らは、やがて薙達に気付いて、混乱の度合いを更に増したようだった。

衣服に付着している返り血と、こちらの姿を見て、自分達の仕業なのかと青ざめている。

崇志と、凛と、伊織が駆け寄って行った。

薙は一人立ち尽くしている。

「今の波動は、一体」

以前にもこれと似たような事があったと思う。

親不知海岸での一件。

あの時も、彼の験力が暴走して、強力な波動が生まれた事があった。

けれど今起こったものはその時の比では無い。

一体豊の身に何が起こったというのだろう。

俄かに胸の奥が息苦しくて、妙な焦燥感が、表皮に汗を滲ませている。

「薙!」

呼ばれて、振り返ると、崇志がこちらを見ていた。

メンバー達は怯えている生徒達をなだめ、何とか落ち着かせようとしているようだった。

この状態で任務の遂行は不可能だ。

リーダーの務めを全うすべく、薙はメンバー達に告げる。

「予測不能の事態により、作戦続行は不可能と判断する、よって、我々はこれよりこの地を離脱、作戦内容を変更し、非戦闘員の護衛及び脱出を旨とした活動に移行する」

崇志らは生徒を引き連れて、洞窟の外へ向かって歩き出した。

しんがりを引き受けながら、薙は波動の押し寄せてきた方角を何度か振り返っていた。

どうして豊の気配が、こんな場所に押し寄せてきたのか。

相変わらず胸の奥は不安で淀んでいて、それは徐々に心を灰色に塗りつぶしていくようだった。